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大阪地方裁判所 昭和36年(わ)3219号 判決 1970年1月29日

被告人 矢野信一

明四〇・九・九生 印刷文撰工

主文

被告人を懲役二月に処する。

この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

理由

(被告人の地位および本件発生に至るまでの経緯)

一、被告人は、昭和三六年二月当時日本印刷出版株式会社に勤務し、日本労働組合総評議会全国印刷出版産業労働組合総連合会大阪地方連合会(以下大阪地連という)大阪印刷産業合同労働組合(以下合同労組という)の執行委員長をしていたものである。

二、(1) 大阪市福島区海老江上二丁目五番地所在の株式会社工文社(以下工文社または会社という)は、右当時、従業員約八〇名を使用して印刷紙器加工業を経営していた会社であつて、右従業員中には大室昌士ほか数名が合同労組に加入し、同労組工文社分会を組織して右大室がその分会長となつていたが、同人らは会社に対して合同労組に加入していることを秘匿していた。

(2) 右合同労組工文社分会は、同月二四日工文社に対し五、〇〇〇円の賃上、時間短縮、最低賃金制、祝祭日、メーデーの有給休暇制などの要求を内容とする合同労組労働執行委員長被告人名義の要求書を同労組本部常任執行委員池田正美の手によつて提出し、この件につき以後、同年三月一一日まで前後四回に亘り工文社側と合同労組書記長山村正雄、被告人らとの間に会合が行なわれたのであるが、その会合において会社側に従業員中の誰が組合員であるか、その氏名を明らかにしなければ回答できないとし、同労組側は同分会員の氏名を明らかにすることができないと互いに反撥し続けて、結局、両者間に前記要求書の交渉事項につき実質的な審理のなされないまま交渉が打切られた。

(3) ところで、工文社従業員斉川良春、同小寺善雄、同土山忠雄らは、かねがね労組結成の意向を有していたところ、右合同労組の動きに刺激されて同年二月末頃組合結成の実現を決意し、工文社の取引先である武田薬品工業株式会社大阪工場の従業員をもつて組織し、総同盟大阪化学産業労働組合を上部団体とする武田薬品大阪工場労働組合(以下武田労組という)執行委員長田中良一、同組織調査部長大原菊雄ら同労組幹部からの指導を受けて、そのころから工文社労組の結成準備に取りかかり、同年三月一六日ごろには同月一八日午後五時半頃から工文社内で結成大会を開催することを予定し、工文社側にその旨告げて会場に会社の一室を借受けることの了解も得ていた。しかして前記小寺らは、新労組は上部団体に加盟せず、中立労組として運営しようとしていたが、場合によつては武田労組の上部団体である総同盟に加入することを考慮していたので、同月一七日夕刻、合同労組の書記長山村正雄や被告人らから面談を求められて新組合の総評への加入を勧誘されたさい、これを拒否した。その時、右山村は小寺らに対し明日午後五時に行う予定の新労組結成大会を延期するよう、延期しなければこれを妨害するような趣旨を述べた。

(4) 一方、前記大室昌士は、右当時、工文社で工務の仕事に従事していたところ、同月一七日午前中、同会社専務取締役花光亮から松下電器株式会社内にある工文社倉庫の業務を担当するよう命ぜられ、同日同会社資材部長花光勉に伴われて松下電器に行き、同社の担当社員に引き合わされて着任の挨拶を了したが、帰宅後、前記合同労組書記長山村正雄に会つて、松下電器に配置された旨を話した。

(5) 同月一八日朝、右山村は大室を伴つて工文社に赴き、前記花光勉および同会社工場長花光静、同会社営業部長吉田顕二に対しはじめて右大室が合同労組の組合員であることを明らかにしたうえ、同人の配置転換の撤回を求め、同時に大阪地連傘下の労組員樫内重徳、千葉徳治ほか多数に連絡して工文社に参集させ、同人らとともに右交渉を続けた。これに対し、右会社側は大室の配置転換を撤回する旨言明したが、山村らは当時会社の工場で新労組の組合規約が印刷されていたことについても、会社側に対し激しく抗議するとともに新労組の結成大会をも延期させるべきだと要求し、会社の電話を勝手に使用したり、闘争本部をここに設置すると広言した。このような情勢になるに及んで前記斉川、小寺ら組合準備委員は、組合結成大会を間近に控えて事態を憂慮し、前記小寺が武田労組に赴いて、同労組の前記田中委員長、大原組織調査部長らに事態を説明し、対策を相談したが、同人らが現地の状況をみてそれを講ずるということとなり、同日午後一時頃、同人らおよび右田中の要請によつて総同盟大阪一般産業労働組合書記長吉永親光、同組合常任細井重治、同重岡数夫、同斉藤勉らが工文社に参集し、同人らは同所二階で、小寺、斉川ら組合準備委員と交えて協議した結果、このまま予定通りの時間に同会社内で新労組の結成大会を挙行した場合、総評側との悶着の生ずることが避けられそうにないので、時間を繰り上げ会場を総同盟会館に移して結成大会を挙行することに決めた。そこで、前記小寺が前記営業部長吉田顕二に対し、右相談の結果を話して同日午後五時の終業を午後二時に繰り上げてもらいたい旨要請したところ、同人は当日朝から平常な業務のとれない状態であり、会社内での紛争を避けるため右要請を了承し、就業時間を午後二時で打切ることにした。そして、同日午後二時過ぎ頃から斉川、小寺ら組合準備委員は工文社労組に参加する会社従業員を総同盟会館に向わせ、同日同会館で参加従業員の決議により、総同盟を上級団体とする工文社労働組合が結成された。

(6) それよりさき同日午後二時頃、合同労組書記長山村正雄は工文社資材部長花光勉とともに工文社附近の飲食店「きらく」で前記交渉について話し合いをし、工文社内には前記樫内重徳および大室昌人だけが残り、その余の総評系支援労組員らは社外に退去していたが、右樫内は、工文社従業員が結成大会参加のため外出するのに気づき、直ちに工文社事務所で前記工場長花光静、同営業部長吉田顕二の両名に対し右事態について抗議をし、ついで右樫内の連絡によつてその場に戻つてきた千葉徳治もこれに加わり、怒声をはりあげ「従業員をなぜ帰した。不当労働行為じやないか。」などといつて詰めよつた。たまたま、工文社二階から降りてきた前記細井重治、同重岡数夫、同斉藤勉ら総同盟役員五、六名は、右樫内、千葉の右行為をみとがめ、同人らと激しい口論をした挙句、同日午後二時半頃同所において右樫内に対して手拳で顔面頭部等を殴打するなどの暴行を加え、同人に全治約二〇日間を要する全身打撲傷等の傷害を負わせ、また千葉に対してその身体を突いたり、足蹴りするなどの暴行を加え、同人に全治約一〇日間を要する傷害を負わせるに至つた。

細井、重岡、斉藤らの右暴行中、前記工場長花光静および営業部長吉田顕二は、その予期しなかつた事態の発生に驚き、呆然としながらも細井、重岡らに対し「やめろ」などと言つて制止していたが、血気にはやり、かつ多勢の福井らは右制止を聞かず、樫内、千葉に対し前記傷害を負わせたものであり、右傷害事件は専ら細井ら総同盟役員五、六名が惹起し、その責に帰すべきものであつたが、その後、同日午後三時頃、前記「きらく」で右傷害事件の発生を知つた合同労組書記長山村正雄は、急拠工文社に行き、工場長花光静、営業部長吉田顕二の両名に対し同人らが右傷害事件を教さ、煽動したものであると一方的になじり、直ちに大阪地連傘下の組合員に動員をかけた。

(罪となるべき事実)

三、被告人は、前同日午後三時頃勤務先の日本印刷出版株式会社に勤務中、大阪地連組合員から電話で工文社に参集せよとの連絡を受けたので同日午後五時頃工文社に赴き、前記山村正雄および同所に参集してきた総評系組合員約四〇名とともに前記工場長花光静、営業部長吉田顕二に対し、樫内、千葉が受けた傷害事件の責任は会社にあると抗議しているうち、右山村正雄および総評系組合員約四〇名と共謀のうえ、右工場長花光静、営業部長吉田顕二の両名に対し樫内、千葉が受けた傷害事件を謝罪し慰藉料を支払うこと並びに同日工文社従業員をもつて結成された工文社労働組合員を総同盟から脱退させ総評に加入させることの確約をさせようと企て、同日午後七時頃から同日午後一一時頃までにわたり、前記工文社事務所において、右花光静、吉田顕二をとりまき、右両名に対し、こもごも「こんな奴はやつてしまえ。月夜の晩ばかりじやない闇夜もあるんだぞ。」「こんな奴は生かしておけんからやつけてしまえ。」「おとなしい言うとつて、ええ気になるねやつたら、なんぼでも大きな声を出してがなりたてるぞ。」「謝罪文書いたら今晩帰れるのやが、それ書けへんかつたら帰られへんで。」「みんな腹ごしらえもできたし、今晩それ書けへんかつたら、徹夜して坐り込みをする。ふとんの五〇人分を準備してあるのやから、そのつもりでおれよ。」「何言つてるか、そんな謝罪文も書けへんねやつたら、今から赤旗立てて観光バスでのり込んで行く。お前、社長の家を知つてるねんやろうからすぐ案内せい。」「お前の自宅の方に行つて嫁はんらが買物に行けんようにビラ戦術をする。そんなことをされたら嫁はんも子供も困るやろう。」などとしつように申し向け、罵声をあびせ喚声をあげたり、あるいは手拳、紙筒およびソロバンで花光、吉田の坐つている机を激しく叩き、その椅子を前後左右にゆさぶり、棒定規、三角定規の尖端で、右両名の背中や肩を小突いたりするなどをして、右両名の身体、自由にどのような危害を加えるかも知れない気勢を示して脅迫し、右花光静、吉田顕二に対しいずれも全部総連大阪地労書記長山村正雄を宛名とする(一)「樫内、千葉に対する傷害事件について、花光静工場長および吉田顕二営業部長が仲裁をせず、その処置が適切でなかつたことを謝罪し、右樫内、千葉に対し相当額の慰藉料を話し合いのうえ支払うこと」を記載した謝罪文、(二)「花光静工場長および吉田顕二営業部長は、交渉を三月一八日午後二時半以前の状態に戻し組合員を総同盟から脱退させ、総評に加入するように努力することを確約する」旨を記載した確約書と題する書面各一通に捺印すべきことを求め、同人らに義務なきことを行なわせようとしたが、同日午後一一時ごろ右吉田が大阪府福島警察署警察官に対し救出方を要請し、警察官の出動をみたため、その目的を遂げなかつたものである。

(証拠)(略)

(被告人および、弁護人の主張に対する判断)

一、被告人および、弁護人は「被告人の本件所為は、工文社経営者がその支配介入によつて工文社労働組合なる御用組合を結成し、その過程で傷害事件を惹起させて合同労組工文社分会の団体権の侵害を図つたことにつき、同分会およびその上部組織である大阪地連を代表して会社側に対し傷害事件を惹起したことの謝罪と樫内、千葉両名への慰藉料等適切な措置を講ずることを要求し、併せて御用組合の解散等不当労働行為の原状回復を求めたものであつて、それは正当な団体交渉権の行使にあたるものである。よつて被告人の本件行為は労働組合法第一条第二項により違法性を阻却され、無罪である。」と主張する。

二、よつて按ずるに、労働者の団結権、団体交渉その他の団体行動をする権利はもとより憲法の保障するところであるが、労働者の団体交渉が労働組合法第一条第二項の規定により正当化され、違法性を阻却されるためには(一)団体交渉の対象すなわち交渉が労働組合又は組合員のためになされ労働者の経済的地位の改善等諸事項に関し正当な目的を有すること(目的の正当性)、(二)交渉が社会通念上何人も首肯するに足る程度の平和的かつ秩序ある方法により行なわれること(方法の正当性)を具備した場合でなければならない。

三、これを本件についてみるに、被告人ら、労組員の本件所為がまづその目的において正当性を具備するかどうか検討するに、被告人および弁護人は、前記のとおり被告人らの本件要求は、会社側がその支配介入によつて工文社労働組合なる御用組合を結成し、傷害事件を惹起させたことに起因し、合同労組工文社分会の団結権確保のためなされたと主張するけれども、本件記録を精査するも、工文社労働組合が御用組合であつたり、会社側が前記傷害事件につき責任を負うべきものであつたとは認められない。すなわち

1  特定の労働組合が自主性を有するかどうかは当該労働組合の行為、構成および活動の全態様から綜合的に判定すべきものであるところ、証人斉川良春、同小寺善雄、同名嘉優、同大原菊雄、同田中良一、同吉永親光の各供述記載部分を綜合すると、工文社労働組合は、同会社の従業員斉川良春、小寺善雄、土山忠雄らの発起人となり総同盟を上部団体とし、従業員多数をもつて自主的に結成した労働組合であることを認めるに充分である。同組合は合同労組による賃上要求が会社に提出されたのち結成されたものであり、また、工文社労働組合の発起人であり、その結成後同組合の役員となつた斉川良春ら八名は結成当時各職場の主任であつたものであるが、斉川、小寺ら発起人はかねがね労組結成の意向を有していたところ、合同労組の動きに刺激されてそれを機会に労組結成の実現をはかつたものであり、右斉川、小寺らを含めた工文社労働組合員中には労働組合法第二条第一号のいわゆる利益代表者の加入していないことが前掲各証拠によつて認められる。さらに工文社労働組合の結成ないし運営について会社側から同法第七条第三号で禁じられているような支配介入であつたり、その結果として同組合が自主性を喪失したとみるべき事実も存在しない。この点に関し弁護人の所論に鑑み今少しく説明すると、(イ)斉川ら発起人が同労働組合を結成するにつき武田労組からその指導を受けたことは前掲各証拠により明らかであるが、会社側がそれを指示、支援した事実のないことは同証拠および証人吉田顕二、同花光亮、同花光静、同花光勉の各供述記載により明らかであるから、右の点に会社の介入行為でなく、(ロ)斉川、小寺らが就業時間中組合結成準備活動をしているが、これを会社が知つていたとしても、もともと従業員が組合結成活動をすることについて会社側は業務その他正当な事由のない限りこれを妨害してはならないものであり、そして右の場合、従業員の就業時間中の組合活動につき賃金を差引かないのは形式的には労務の提供なきにも拘らず賃金を支給することになるが、組合活動に従事したことに対する賃金の支給と異なり、それによつて組合の自主性が損われることがないから一般にこれを認めて差支えないと解せられ、したがつて、それらを目して前記法条の禁ずるいわゆる経費援助便宜供与ということに当らない。また、(ハ)証人花光勉、同斉川良春の各供述記載によれば斉川発起人が本件の二、三日前、会社の許可を得て工文社で組合規約の印刷をしたことが認められるが、右印刷が有料でなされたことは証人花光勉の証言するところであり、会社が右印刷を指示したとか、他の印刷物に優先して右規約の印刷をさせたとかの事実は全証拠によるもこれを発見することができないから、右の点についても会社側にいわゆる便宜供与があつたとはいえない。(ニ)本件の二日前ごろ、斉川発起人が花光亮専務取締役に申入れて労組結成の会場に会社の一室を借受けることの了解を得たことが証拠により明らかである。ところで会社の右場所提供は別段便宜供与に当らないものであり、かえつて組合から使用者に対し会場使用の許可申請された場合、使用者が正当な理由なくこれを許可しないことは組合の会議に対する不当な干渉となるものであるから、右の点も介入行為といえない。(ホ)本件当日工文社営業部長吉田顕二が小寺ら従業員の要請により午後五時の終業時間を午後二時に繰り上げたことおよびその措置をなすに至つた経緯は前判示のとおりである。しかして、そこに示した本件当時の情況からすれば、右吉田顕二が右の措置をとつたのは会社が紛争の場となることを避けるためにやむを得なかつたものと認められるから、右措置をもつて組合結成の支配介入ということができない。(ヘ)証拠によれば、小寺らは本件当日労組参加の会社従業員を工文社から組合結成会場総同盟へ送りこむためタクシーを利用したほかに会社の自動車二台を使用したことが認められる。しかし、それは同人らが従前から会社の用務に自動車を使用していた惰性から会社の許可を受けないで、右自動車を使用したものであり、当時会社が右事実を知らなかつたことが証人小寺善雄、同斉川良春、同吉田顕二、同花光静の各供述記載によつて認められるし、かりに会社が右自動車使用を黙認したとしても、右程度の軽微な事実ではいわゆる便宜供与というに当らない。

なお、被告人ら合同労組がなした賃上等要求に対し会社側が当初組合員の氏名不明を理由に右交渉を拒否したこと前判示のとおりであるところ、組合員の氏名を明らかにすることが団体交渉開始の要件かどうかについては学説上消極説、積極説がある。当裁判所は、会社側において従業員の誰が組合員であるか不明である場合、組合(上部団体のそれ)から団体交渉を求められても、その代表者の権限の有無を確認し得ないし、また、代表者が誰のためにするかを示すことなく、匿名のまま交渉事項を示すに止まるならば、交渉事項の明示として不完全であつて、会社側としても責任ある回答をなし得ない筋合いのものであるから、組合側としては会社側の求釈明に応じ、全部又は少くとも組合員の一部についてその氏名を明らかにすべき義務があるものと解すべく、したがつて、証人吉田顕二、同花光亮、同花光静、同花光勉の各供述記載部分によつて当時大室等数名の従業員が合同労組に加入していたことを確知してなかつた事実の認められる工文社経営者が、被告人名義でなされた合同労組の賃上等要求に対し組合員の氏名が明らかでないとの理由でこれを拒否しても、不当労働行為にはならないと解する。また、大室昌士の前判示配置転換についても、右各証拠によれば、同人が本件当日同労組組合員であることを表明するまで会社側はその事実を知らなかつたこと、右表明後は配置転換を撤回していることが認められるから、右配置転換をもつて直ちに会社側に不当労働行為があり、あるいは工文社労働組合と差別待遇をなしたものということができない。

以上説明したところにより、工文社労働組合が御用組合でないことが明らかである。

2  総同盟役員細井重治らの樫内、千葉両名に対する傷害事件の発生およびその経緯、右事件が偶発的に発生したものであり、花光静、吉田顕二にとつて全く予期しなかつたものであることは前判示のとおりである。しかも、証人吉田顕二、同花光静の各供述部分、藤本正二、細井重治、重岡数夫、斉藤勉、樫内繁徳、千葉徳治の検察官に対する各供述調書を綜合すれば吉田顕二、花光静らは細井らの右傷害につきこれを幇助ないし現場助勢をした事実がなく、むしろ同人らの暴行を制止していたことが認められる(右各証拠によつて表われた傷害事件の具体的情況に徴すれば、右認定に反し、営業部長吉田顕二が細井らに対し「外へ連れていつて殴れ」と指示したり、「まあそれぐらい殴つたらいいじやないか」と言つた旨の記載がある証人樫内繁徳の供述部分は措信することができない)。さらに、証人小寺善雄、同田中良一、同吉永親光の供述記載によると、右総同盟役員は工文社従業員小寺から、本件当日の労組結成につき相談を受けた武田労組役員の独自の判断による応援請求により同労組に同伴して工文社に来たものであり、小寺は同役員を会社二階に招いたのち、営業部長吉田顕二にその許可を求めたものであることが認められ、右吉田が右許可をした点および吉田、花光静が細井らの暴行を制止しながらも、なおその暴行を阻止できなかつた点につきとがむべき過失があつたと認めることができない。したがつて、吉田、花光静ら会社側は傷害事件につきなんら責任がないものというべきである。

そうしてみると、吉田、花光静ら会社側が右傷害事件を惹起したものでなく、右事件について両名が被告人ら合同労組に対して謝罪すべき理由のないことは勿論のこと、樫内、千葉に対しても慰藉料を支払うべき義務のないものであるから、被告人ら総評系労組員が本件当日、吉田、花光静に対して謝罪、慰藉料等要求したことは同人らに義務なきことを強いる不当なものであり、また、工文社労働組合が御用組合でなく、同組合の結成、運営に対し会社の介入行為も存在しないこと前記1で述べたとおりであるから、合同労組工文社分会の団結権に藉口して被告人らが吉田、花光静に対し工文社労働組合の解散を要求するということは不当というべく、まして、被告人らが確約書によつて同労組員を総同盟から脱退させ、総評に加入させることを要求したのは、会社側に同組合に対する法の禁ずる介入行為を強いるものであつて、それ自体不当というべきである。

四、被告人らの団体交渉が右にみたとおりその目的において不当であるのみならず、もともと団体交渉は労働組合が労働の自由と労働者の生存とを自主的に確保するためその団結力を背景として行う平和的手段による交渉であるから、団体交渉は何人も首肯できるような平和的かつ秩序ある方法で行なわなければならないものであるところ、判示のとおり、本件につき被告人ら総評系労組員は多数共同して、工場長花光静、営業部長吉田顕二の両名をとりかこみ、夜間遅くまで、判示のような数々の脅迫的言辞を弄して両名に対し組合側の要求を承諾すべき旨を執拗に迫り、手拳、紙筒、ソロバンで両名の坐つている机を激しく叩いたり椅子を前後左右にゆさぶつたり、定規の尖端で両名の背中や肩を小突く等その身体に対し危害を加えるような行為に出て両名を脅迫畏怖させたうえ、前記謝罪文、確約書を一方的に強要しようとしたものであり、右は明らかに正当な団体交渉の手段、範囲を逸脱したものといわなければならない。

五、以上いずれよりするも、被告人の本件所為は正常な組合活動としての正当な交渉行為と認めることができないから、被告人および弁護人らの前記主張はこれを採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第六〇条、第二二三条第一項第三項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二月に処し、情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から一年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

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